2011年12月25日日曜日

第42回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に出場


次男が所属する西武学園文理高校のバスケットボールチームが「東日本大震災」被災地復興支援 JX-ENEOS ウインターカップ2011 平成23年度 第42回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に埼玉県の代表として出場
第1回戦の対戦相手は常連校の県立能代工業。能代はNBAにまで上り詰めた田伏を育てた学校。
一方、西武学園文理高校の大応援団は勝利を確信して応援。
試合開始前の練習時間。 
 いよいよ試合開始。
 幸先良くスタート。
最初は順調に得点を重ね応援団も大喜び。息子は2階席の一番前で応援。

結果は西武学園文理高校 65点 対 秋田県立能代工業高校 88点で23点差で負けた。素人目には、能代に比べ西武文理のシュートの数が少なく、シュートの正確さも低かったように見えたが、実はデータを見ると23点のうち、フリースローの得点差数が15点、純粋にシュートの得点差はたった8点(約3シュート)だった。こうしてみると、先日見たマネーボールの映画の教訓はホームランバッターを集めるより、フォアボールでも何でも1塁に出塁する率の高いプレイヤーを揃えたほうが勝つ確率は高いということであったが、バスケットでも同じようなことが言えるプレースタイルがあるのではと素人ながらこの試合を見て思いました。その後の能代の試合は3試合目で負けていますから、相手によってはそれだけでは通用しないのかもしれません。



2011年12月19日月曜日

早稲田大学混声合唱団の第56回定期演奏会を聞いて


今日は長男が定期演奏会に出るということで、夫婦と祖母で聞きに行きました。
息子からは、早稲田の近くで行われると妻が聞いていたので、てっきり新入生のときに発表会を行った教会だと思って、丁度会場に14:30に着くように高田馬場から東西線で早稲田に向かいました。
その電車の中で、祖母があらかじめ息子から預かっていたチケットを見て、会場が人見記念講堂だと気づき、これから三軒茶屋に向かったのでは間に合わないと3人であわてていました。それを聞いていた方が、このまま乗っていって九段下から半蔵門線で行けば、乗り換えなしで渋谷の2つ先の三軒茶屋に着くと聞かされて、そのルートに乗りました。半蔵門線に乗ると三軒茶屋までわずかな時間で行けることがわかり、三軒茶屋には14:35分頃には着いて、45分には席についていました。
演奏会は3部構成で、1部には息子が見当たりませんでした。どうも、別のクラブの用を済ましてからきたので1部には間に合わなかったようです。第2部に息子を見つけて一安心。

都の西北に始まり、都の西北で終わりました。

第1部
[AMAZING GRACE], [AGNUS DEI], [HOMELAND]と聞きなれた曲で気持ちよく聞きました。

第2部
委託初演 混声合唱組曲「沈黙のありか」
この曲は作曲家の森山至貴さんに作曲を委託して、今回初めて演奏される曲だそうです。色々な詩集を図書館で探して、牟礼慶子さんの詩集がこの合唱団にぴったりではないかと言うことで、そのなかから4編を選んで作曲されたそうです。理由は牟礼さんの詩句の背後に世界の重さに釣り合う言葉を探り続けると言う執念と、世界に自己を正しく拮抗させようとする執念を強く感じ、きっと若者の共感を呼ぶとの直感から選ばれたそうです。

第3部
「Te Deum」
ここでは3郡の合唱と弦楽合奏、プリペアード・ピアノ、ウインド・ハープの組み合わせで合唱と弦楽演奏というハーモニーがすばらしいものでした。

2011年12月18日日曜日

クリスマス イルミネーション2011 - カレッタ汐留

2011年12月17日夜9時過ぎに新橋での忘年会が終わってから、少し歩いてカレッタ汐留のクリスマス イルミネーションを見てきました。大勢の人だかりで、何を待っているのかと思ったら、中に備えられた鐘を順番で鳴らすことが出来るようでした。


来年は良い年でありますように。

2011年12月10日土曜日

皆既月食 - 次の機会は11年後


2011年12月10日23:30頃の皆既月食はオレンジ色にみえて綺麗です。

ほぼ完全に月が地球の影に隠れてしまった。

2011年12月6日火曜日

クリスマス イルミネーション2011 - 東京ミッドタウン

今年も東京ミッドタウンのクリスマス イルミネーションが始まった。周りの子供達もおおはしゃぎ。うちの子はすでに大学2年生、高校2年生、中学3年生。こういう時代もあったなあ、と懐かしい。

さあ、次はどこにゆこうか?

3D風 東京タワー

今日は空がもやっているせいか、周りのビルの色があせて見える。それに比べて東京タワーの朱の色はそれほどあせては見えないため、写真では3D風に浮き出ているように見える。

ここからは東京スカイツリーも画面の外側ではあるが、遠くに薄っすらと見えていました。東京スカイツリーは、白色系のため、もやると全く見えない。また、今は完成していないため、夜もライトも何もなく真っ暗。

2011年12月4日日曜日

マネーボール


今日は、近くのユナイテッドシネマとしまえんで映画「マネーボール」を見てきました。幾つものスクリーンの1つのうちの1つですが、全席指定の全席が満員でした。14:00からのいい時間ですが、これだけ満員は久々です。

物語は、全米の球団で一番資金のないアスレティックスのGMが最下位の球団をお金を使わずにユニークな方法でプレーオフの常連にまで押し上げていったという実話を映画化したものです。しかし、これは昔の話で、現在のアスレティックスは低迷しているようです。

この映画を見ているとGMという職業が現場に必要な人材を見極めて集めてくるという重要な仕事であることが分かりました。どこかの球団では球団の人事権があるGMが無視されて、人事に球団会長が異論を唱えて、それを批判してクビになったということを見聞きして、その球団の大ファンとして、胸が痛くなります。また、この映画では監督がGMの人材起用を理解して人をうまく動かすことが重要であることがわかりました。今年、セパで優勝した、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークスの落合監督、秋山監督の後ろに優秀なGMがいるのだろうと思いました。しかし、来年はどうでしょうか?ホークスは、和田が大リーグを目指すといい、杉内はFA宣言、など。ドラゴンズは、毎年、名も知れない選手をスカウトが連れてきては活躍しています。きっと、来年も名も知れない選手を連れてきては、また活躍するのでしょう。でも、落合監督の下で長年活躍してきた選手も全盛期を過ぎていることは誰の目にも明らかでしょう。立浪、森野、谷繁、等など。また、昔中日から戦力外で楽天に加入した山崎が、楽天からも戦力外になったのを、中日が代打要員としてとるなどと、そうそう西武の和田のようには活躍はできないでしょう。久しぶりにニュース23に出演した楽天ゴールデンイーグルスの星野監督も、思わず本音がでていました。中日はスカウト人が優秀だったのでしょうね、といっていました。聞いている側からすると、落合監督の采配も良かったかもしれないけど、中日は良い選手が毎年補強されているのに比べて、楽天はまだまだだな、というように聞こえました。そういう点では、セリーグの最下位の横浜ベイスターズはどうだろう。新しい球団は高田 繁氏をGMとして決めたようだ。高田氏はGMとして日本ハムを日本一に導いたが、ヤクルトでは、監督として思うような成績を出せずに、昨年のシーズン途中で解雇された。それにしても、日本ハムのスカウト陣はなにを考えているのか?相思相愛の東海大学の菅野を指名して、クジで当てれば自分のところに来るとでも思ったのか?それとも、ダルビッシュが抜けたらどうしようと切羽詰ってやったことか?いずれにしても、思い上がったスカウトだと思う。

この映画のGMは将来を嘱望されて大リーグに入団しては見たものの、活躍できなかった選手がなったものでした。優秀なアドバイザーに出会って、選手の選択に、今までのデータを活用したユニークな方法を取り入れました。色々な球団から戦力外扱いされていた選手でも、球団が勝つために必要だと思えば、自分のところの選手と交換トレードや安い金銭でトレードして集めていました。シーズン最初は10数連敗で成果が出ないまま、シーズン中もトレードを続けて、成果を出し始めるとそれまでの大リーグの連勝記録を抜く20連勝を達成。そうすると、こんな選手起用をきちがい扱いした他球団がこのGMを見直して、あの金持ち球団であるボストンレッドソックスがこのGMを自分の球団のGMとして法外なオファーを出したが、本人はアスレティックスで勝ちたいんだと断って、その後もGMを続けたようです。

一番ドキッとして、印象が残っているのは、10数連敗から立ち直って20連勝したことでもなく、レッドソックスからのオファーを断ったことでもなく、立て直す段階で、その場でクビを宣言する、本人の意思に関係なく、突然のトレードなどの場面でした。私はずっと外資系で働いるので、何度かこのような目にあいました。ある会社では、本社では出社すると上司から呼ばれて午前中に身の回りを片付けて、昼までに出てゆけと言われて何人も退職させられたという場面もありましたし、私も2月の最後の週に上司から呼ばれて、今週中までで退職するようにと言われました。次の週には会社に入るIDカードもありませんし、メールのアカウントは削除されていますし、席もありません。ただ、日本では労働基準法があるので、次の月の1か月分の給料と退職パッケージで幾らかのお金が払われましたが、会社には来てはいけないという条件でした。ただし、トレードはありません。ただの首切りです。最終的に、この会社は日本から撤退してゆきましたが。

ここをクリックするとマネーボールのオフィシャルサイトへジャンプします。

・書籍の紹介

2011年11月30日水曜日

紅葉 天王洲アイルから品川インターシティにかけて

今日は天王洲アイルで仕事があった。そこここと、紅葉が綺麗だったので携帯で写真を撮りながら品川駅まで帰りました。まずは、モノレール天王洲アイル駅で降りて、東品川海上公園を抜けて仕事先へ。










仕事が終わったら、天王洲アイルへ戻らずに、もう1つの仕事先へ。



 そこからT.Yハーバーブリュワリーにあるケーキ屋さん(?)でキッシュセットを頼んで、一服。橋を渡り品川インターシティへ向かう。


品川インターシティも紅葉になっていました。多分、ここもクリスマスのイルミネーションが綺麗だと思うので、いつか夜、もう一度来てみたいと思います。

なかなか、リラックスできた午後でした。

2011年11月27日日曜日

リサ・ヴォート トークショーに参加

2011年11月27日 14:00 - 15:30 東京ミッドタウンのフジフィルム スクエア2Fでリサ・ヴォートさんのトークショーが行われ、参加してきました。11月25日から12月7日まで1Fでは企画展『LISA VOGT's White Gift「北極からの贈りもの」~生命のぬくもり~』が行われていてその併設イベントとして行われました。

最初にリサさんの大切な友人ということで紹介された薄羽美江さんから写真集についての紹介がありました。この会場で写真集を購入されるとリサさんがサインをしてくれます。そして絵葉書を受け取って、それに自分の住所を書いて渡すと、東北の図書館に1冊献本され、そこにその葉書が着いてゆき、受け取った人が切手を貼って多分メッセージが書いて送り返してくれるそうです。

リサさんのお話は、北極と南極に行かれた経験から、その違いについてのお話がありました。北極は大陸はなく、氷のかたまりから出来ていますので、一面、真っ白、生き物も真っ白、たとえば白うさぎ、白い鳥で、自然の音も静かだそうです。北極は地球の温暖化の危機に直面しております。暖かくなれば、凍る面積が狭まるために、2万頭とも言われている北極熊の住む氷の面積が狭まり、海面を泳いでいなければならなくなってしまいます。それに対して南極は大陸があり、比較的暖かい季節、真冬の季節などがあり、住んでいる動物も色鮮やかなペンギン、野鳥、アザラシその他豊富におり、音も色々な鳥の鳴き声が聞こえてくるところです。多少温暖化になっても住む土地がすぐになくなるというわけではありません。

日本語的発想だと白熊、つまり、ホワイトベアですが、英語では極にいる熊(ポーラーベア)と呼ばれます。

それから、幾つかの写真のエピソードなどをお話しされました。北極熊が体に積もった雪を掃うところを撮るのに4時間も待ったとか、3頭の親子の北極熊のうち、子供の熊が氷の割れ目を渡るときに、躊躇してなかなか渡らなかったとか、それを母の熊が渡るまでじっと見つめていたなどのお話しをされました。
半ばに、ホッキョクグマの等身大に近いぬいぐるみがトークに加わり、楽しいひと時を演出してくれました。会場内を動き回り、お子さんや希望者にハグして、皆さん喜んでいました。この写真はそのときのものです。
終わりの頃に動物園の北極熊の写真を見せて、実は北極に住む熊より、動物園に連れてこられて熊のほうが環境が一定、栄養管理されたえさ、ドクターチェックなどが施されるので長生きするというお話しもされました。

なお、北極熊の写真はリサさんのサイトを覗いてみてください。サイトはここをクリックしてご欄ください。

・写真集


2011年11月26日土曜日

三の酉に参拝してきました


2011年の酉の市は三の酉まであります。一の酉は11月2日(水)、二の酉は11月14日(月)で三の酉が11月26日(土)でした。平日は仕事があるので仕事帰りはきついので、三の酉の土曜日に参拝してきました。

毎年、熊手を買っているので(と言っても一般的な800円のもので、ご利益もそこそこだと思います)、今年も昨年の熊手を返納して新しいものを買いました。私が住んでいるのは練馬で、練馬駅前の商店街を入ってすぐのところに練馬大鳥神社があります。敷地はそれほど広くなく、本殿と神楽殿があります。夜に行くと神楽が行われていて、1つの演目が終わるたびに、紅白の餅を投げ、それを拾うという光景が見られます。神社には列に並んで進んでゆくのですが、入り口に近づくと道路の左側に鳥みきという焼き鳥屋さんがあり、大串350円のものや良くある焼き鳥、大きなえびの串焼きがおいしくて、非常に繁盛しています。

酉の市というと東京の下町のお祭りとばかり思っていたのですが、熊手に添えられた書き物には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊勢の国で亡くなってから、大鳥に化身して大阪堺市のある場所に飛来したことから、その場所に大鳥神社を創建されたと伝えられていて、東京およびその周辺に末社が多く建てられたそうです。この神社で配られる熊手は、福を搔き込み、幸せの御神徳を載くものだそうです。

2011年11月23日水曜日

六本木アートカレッジ 2011.11.23

10:00からの最初のプログラムは「人類が生き残るために、どうするべきか?」。これは、俳優、監督の伊勢谷友介さんの活動についての対談でした。伊勢谷さんの活動の基本は、人類が地球に生き残ることを前提として何が出来るかを考え実行することだそうです。その活動は、Reverse Projectと呼ばれ、無駄をなくす活動と、一般の人の提案を応援する元気玉プロジェクト。

11:15分からは5つのプログラムが同時に行われるので、「アートな過激なイノベーション?」を聴講しました。AITという活動をされている、ロジャー・マクドナルドと小澤慶介のトーク。近代アートの歴史について短い時間でしたが近代の代表的な作家についてのお話でした。「ダダイズム」、ユーリカ発見のモーメント、ドゥシャン、ポルック、ウォホールなど。

12:30からは「境界を越えた表現者 ~表現者はアーティストだ!」アーティスト会田 誠とメディアジャーナリストの津田大介の対談。津田さんのツイッターの発信はリアルタイムだが、アートは書き始めのときの時代感覚は出来上がったときにはすでに時代は動いていて、時代感覚とずれていると感じているのはアーティストの会田さん。

13:45からは「アメリカ美術って何?」というテーマで、国立新美術館教育普及室長の西野華子さんが、現在国立新美術館で開催されているアメリカン・アート展に展示されている作品の紹介を通じて、アメリカン・アートの歴史と特徴を紹介されていました。また、アメリカの美術館の特徴として個人が資金を出して作られたものが多いということでした。最初の近代美術館は、個人の自宅の一部に収集された作品を公開した、フィリップス・コレクション。その後と美術館は1870年設立のメトロポリタン美術館、ボストン美術館、ワシントン・ナショナルギャラリーなど。私はボストンが本社の会社の日本支社に長い間勤めていたのと、最初に経験した外資系の会社だったので、何度かボストンをはじめとしてアメリカ国内を何度かいった中で、ボストン美術館には何度か行きました。この写真はそのときのものです。
もちろん東洋館で日本の浮世絵などを見てきて、その後色々な国で有名な美術館には行ってきました。ほとんどが教科書に載っていた作品が目の前にあるのは感激でした。本題に戻ると、アメリカのその後の美術館は1929年設立のニューヨーク近代美術館(MOMA)、ホイットニー美術館などです。富豪の個人が設立したのはヨーロッパに美術的には劣っているという思いから、アメリカ国民がアートに触れる機会を与えたかったからでした。

15:00からは「本とは愉しくやっていきたい」と題してブックディレクターの幅 允孝さんのおはなし。ブックディレクターとは、最初は六本木のけやき坂にあるTSUTAYAにある本屋さんにコーナーを作って、テーマを持った本を揃えるというものから始まり、大阪千里の病院の図書コーナーに脳溢血の方のリハビリに効く本を揃える仕事での苦労話しやそこで得たことなど示唆に富んだお話しでした。最後に最近の電子書籍のメリット、デメリットのお話しをされました。幅さんは電子書籍で読んだ本でも気に入った本は、紙の本を買うそうです。紙のにおい、手にとってページをめくるとそこにある書き込みなどをみて読んだときの記憶が蘇るそうです。

16:15分からはアートとは視点が違うのですが、国立天文台の小久保英一郎さんの「宇宙の中の地球」でした。以前に三鷹にある国立天文台で大望遠鏡を見て説明員の方からお話しをお聞きしましたが、そこに勤めていて宇宙の成り立ちを研究されているそうです。目下の関心は、第2の地球はあるのか?だそうです。この広い宇宙に地球と同じような環境の星があるのか?来週にもファッブル望遠鏡からのデータがアメリカで発表されるようで、もしかしたらそこでこの可能性が語られるかもしれないとのことでした。

最後17:15からは森美術館の館長の南條さんがモデレータで中田英寿、栗林 隆による先月行われた中田英寿さんの企画による日本の伝統工芸をアートにして出来た作品をオークションで販売して、それを来年の同じ企画の資金にするというものの紹介でした。これは、中田さんが日本国内を回りながら各地の伝統工芸を見て歩き、それをアーティストによって作品を制作し、それを広く国内に紹介するというものです。

2011年11月20日日曜日

「人生これからや」 コシノジュンコさんの講演会を聞いて


今日は息子の通う学園の創立45周年記念講演会ということで、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんの講演を聞きました。題は「大きな夢 世界に飛び出せ」でした。

この学園はグローバル、ホスピタリティを創立の原点としていて、希望しなければ夢は叶わない、望んでも行動しなければ何も起きない、出来ると思ってやることのようなお話をされるところなので、小学校から大学までの生徒に聞かせるのにはぴったりのお話だと思い、普段はあまり学校行事には参加しないのですが、コシノジュンコさんがお話されるということで、参加いたしました。

はじめに、コシノジュンコさんのお母さん、綾子さんの生涯を扱った朝の連続テレビ小説「カーネーション」の紹介がありました。カーネーションというタイトルは、お母さんの誕生日が6月15日で、その日の誕生花は幾つかあるのですが、その1つがカーネーションなので、付けられたそうです。写真はウィキペディアで見つけたものです。誕生花というのは初めて聞いた気がするので、自分の誕生日はどうかと調べたら、ガーベラ(神秘)、カルミア(野望・大志をいだく・野心)、コウリヤナギ(しなやかな心)、フリージア(純潔・慈愛・親愛の情・親愛)でした。自分の誕生花をインターネットで調べてみると面白いかもしれません。

お母さんは、生前、NHKの朝の連続テレビ小説を見て、この番組で自分のことを取り上げてくれないかと、視聴料金の集金の人に言っていたそうです。亡くなってから5年程度経ってから取り上げられたので、ジュンコさんは、きっと母は天国でずっとこの番組で取り上げてくれないかなと言っていたのではといっておられました。これは、お母さんがなくなった後、お母さんが付けていた日記を整理したら、色々なことが書いてある中で、赤線が引いてあったことに通じるのではと引用されたものと思います。その言葉とは、「向島、見るだけでは渡れない」でしょう。

夢は誰でも見るけれども、行動を起こさないと何も始まらないということを常々言っていたそうです。ジュンコさん自身のエピソードとして、ニューヨークのメトロポリタン美術館でファッションショーをした時のことを話されました。ご本人もこの美術館でファッションショーをしたいと思っていたけれども、まさか、ここで出来るとは思っていなかったそうですが、だめもとで係りの人に言ってみたそうで、待っていたら2週間後に返事があるからということで、待っていたら、ビジネス目的では駄目だけれども、アートという趣旨であるならば良いとの返事を得て実現したそうです。

それから、もう1つ話されたのは、「人はそれぞれ自己流がええねん」と書かれていたことについての話でした。人まねではなく、自分なりのよさがあるのだから、それを信じて伸ばしてゆくのが良い結果につながるというようなお話だったかと思います。

最後にコシンジュンコさんが言われたのは、「かきくけこ」が大事だということでした。
か - 感謝
き - 希望
く - くよくよしない
け - 健康
こ - 行動する

講演の中では書籍を出版されていることは紹介されませんでしたが、お母さんから受け継がれた言葉などエピソードが「お母ちゃんからもろた日本一の言葉」に書かれているようです。
また、80歳を過ぎてもなお、お母さんの口癖だった、『人生、これからや!』をタイトルとした本も出されているようで、自らの貴重な体験をこれからの人に伝えることにも力を入れているようでした。その表れとして、このような講演会を幾つかの大学などでされているようです。

私もこの年齢になると、何度となく成功された方から同じ趣旨の言葉を聞きました。また、本でも幾度となく読んできました。なのに、なぜ自分は中途半端なんだろうと考えてみました。やはり、父親のことを考えると、父親たちが最後の最後まで諦めなかったのに比べると、その親の頑張りで自分たちはそれほどの苦労をしなかったので、最後の一頑張りのところで頑張りきれないのではないかと思うようになりました。成功された方の話に何度も聞いて覚えているのは、成功したのは成功するまで、最後の瞬間まで諦めなかったからだということでした。そういえば、松下幸之助さんのエピソードでも、売り上げの締め切りの日に現場の営業の方は、締め切りの日の夜10時に、やるだけのことはやっても目標には達成することが出来ず、諦めて幸之助さんに報告したら、幸之助さんは「あと2時間あるではないですか」、と言って激励したそうです。やはり、成功した人は最後の最後まで成功することを信じて諦めることしなかったのだと思います。

もう1つ思うことは、やる前から諦めてしまうということです。高い目標を与えられると、出来ない理由が頭に浮かんできてしまいます。でも、やるっきゃない時もあります。そんな時には、どうすれば実現できるかを死に物狂いで考えて、最後まで諦めないこと、頭では分かっているのですが、途中で、早々と諦めてしまうことが多かったのです。

そんな事を、考えさせられた1日でした。
・最後まで諦めない
・駄目もとで行動してみる
・出来ない場合を考える前に、どうしたら出来るかを考える
・人まねをせず、自分らしくやってみる

・書籍の紹介



2011年11月12日土曜日

中国深圳出張で最後に待っていたポカ



2011年6月18日から25日まで、社内のミーティング出席のため、中国深圳にある本社へ出張してきました。
日本からは成田から香港へ行き、香港からは大きく分けて陸、海のルートがありますが陸のルートを選択しました。海のルートは空港内で入国しないままフェリーに乗って深圳に向かうルートで、飛行機に積まれていた荷物は香港でフェリーに積み替えられます。このフェリーを降りた時に入国審査が待っています。その後、そこからホテルまでタクシーで移動します。
2番目のルートである陸は、タクシーで行く方法とバンによる7名程度の乗り合いタクシーがあります。この方法だと香港から約2時間で深圳の内陸にある本社近くのホテルに着きます。費用は220中国元(日本円で約2,750円)。
私は7名乗りのバンで香港から滞在先のホテルまで約2時間15分程度をかけて行きました。香港と中国本土の境にある入出国審査所で30分程度の香港への入国と中国本土への入国で時間を使いました。まだまだ香港は中国では無いようです。
多分、一人で来たら珍道中になるところでしたが、たまたま日本のオフィスにいる中国人社員がビザの更新のため本社にもどるのと中国から出張で来ていた中国人1人との3人で成田から同じ便で香港に着いたので、彼らの進むままにバンにのり、何も考えずにホテルまで連れて行ってくれて、ホテルのチェックインが済むまで一緒にいてくれました。


初めてのところなので、土曜日にホテルにチェックインして、会社まで歩いて30分ほどかけてのんびり回りをチェックしました。社内へは守衛さんが厳重にチェックしているのですが、社員証を胸から下げていればそのままスムーズに入れるので、中に入ったら土曜日というのに働く社員であふれていました。翌日も会社に昼ころいったところ、社員食堂では大勢の人が昼食を食べていました。これだから日本は中国に追い越されているのだと感じました。多分、私の父の世代はこのように一生懸命働いたのだと思いました。がんばろう、ニッポン。負けるな、ニッポン。


ホテルから本社までバスで3駅(費用は3元、日本円で約37円)、タクシーで13元(日本円で163円)。ホテルは1泊約200元(日本円で2,500円)。朝食、昼食、晩飯は会社の食堂を利用しました。たまには、こちらにいる人の案内でそとのレストランで食事をしましたが、それほど高くはありませんでした。社員食堂では、朝食は4元程度(日本円で50円)、昼食25元(日本円で約300円)、夕食も昼食同様25元程度で、1日約54元(日本円では675円)で食費、宿泊で180元程度でしたので、1日234元(日本円で約3,000円)。
出張ではトレーニングセンターのミーティングルームで5日間、朝9時から夜9時までミーティングを行いました。トレーニングセンターは1つの区画を使って緑に囲まれた東京ドーム程度の広さの敷地に贅沢に3階建ての建物が建てられています。



深圳は香港に近い経済特区ですが歴史も古いため、観光ガイドを見るといろいろな見所があるようですが、会社は内陸に入り込んだ何もない広大な平地に立てられたため、周りには見所はありません。朝9時から夜9時近くまで、ほぼマンツーマンのミーティングをしていたので、夕食をとった後は、疲れがピークに達していて、何を言っていたのかほとんど覚えていませんが、終始売り上げのことを言われていました。

25日の土曜日にホテルから香港まで来た時と逆のルートで帰りましたが、これも一緒にこちらに来た同僚がバンの手配をしてくれて、私は指定された会社の前の社員向けホテルの前で彼と待ち合わせて彼の指示でバンにのり、香港空港まで付きました。飛行機の出発は午後3時ころですが、11時30には空港についていたので十分に空港内でおみあげを買うことが出来ました。

帰りは成田に夜8時30分ころ着いて、いつものように成田エクスプレスの切符売り場に向かったところ、最終が出たばかりで、新宿には京成スカイライナーが早く着けると言われて、産まれた初めて京成スカイライナーにのりましたが、西日暮里までどこも停車せず、快適に着きました。そこでJRに乗り換えて山手線で高田場にゆきました。

この出張では、成田から順調に現地ホテルまで着き、無事5日間のミーティングをこなし、無事自宅まで帰宅して、大きな失敗もない旅でした。と言いたいところですが、最後に落ちが待っていました。

それは、京成スカイライナーの中か、西日暮里でJRに乗り換えるときかわかりませんが、パスポートの入った小さなポーチをなくしてしまったことです。家に帰ってパスポートを落としたことに気づき、早速、成田空港警察、成田空港、京成、JR、西武線に遺失物の連絡をして連絡を待つことにしました。万が一駅から家までの徒歩10分の間かもしれないと思い、近くの交番にも届けました。そして、なんと5日目に上野警察から私の携帯に連絡が入り、それは私のパスポートが届いているとのことでした。携帯の番号は近くの交番に遺失物届けを出した際に記入したもので、とりあえずとして近くの交番に届けたのが幸いしたようです。パスポートには自宅の情報は記入していなかったため、近くの交番に届けていなかったら、たとえ上野警察に届けられたとしても私に連絡が来ることはなかったでしょう。

更に落ちがあり、それは、パスポートは小さなポーチに入っていて、その中にめがね(近視なので通常かけている遠近両用めがねとは別に持っているパソコン用めがねで、GIORGIO ARMANIのフレーム、ニコンの中近レンズを合わせると当時7万円近くしました)、筆記具が入っていました。そこで、月曜日の仕事に困ったことが起きました。つまり、パソコン用めがねを紛失したために、パソコンに向かっても遠近両用めがねでは近すぎてよく見えず、仕事にならないことが判明しました。そこで近くの眼鏡屋さんに行って検眼し、一番安いめがねを買いました。レンズ込みで5,900円でした。J!NSというブランドのようでした。30分ほど待って(丁度昼休み時間を活用して)出来上がりました。これを社内で付けていたら、すこぶる今風で評判が良かったようなので(お世辞とは分かっていても悪い気はしません)、遠くを見るめがねもついでに作ってしまい、結果的にめがねが4つもあることになってしまいました。
めがねを変えてから、最近白髪が少し目立ってきたので自分で出来る白髪染めを試してみたら、簡単なので続いています。

……
・書籍のご紹介

2011年10月21日金曜日

びっくり風


10月21日に1年ぶりに健康診断を受けました。いわゆる半日ドック。朝8時30分から新宿のフィオーレ新宿というところで受診しました。色々なところでドックは受けていますが、ここは初めてです。ドック専門のところなので、ゆったりと受診できました。10時頃には検査が終わり、会社には午後から出社と伝えてあったので、2時間程度、久しぶりの平日の自由時間ができました。

どこに行くか考えて思いついたのが新宿東口の紀伊国屋書店で本を眺めること。ここでは、「金子みすゞ」関連の本と「ワールドカフェ」関連の本を買いました。これは、昨年何度も参加したアカデミーヒルズでのVisionary Institute Seminar / World Cafeを通じて、興味を持っているテーマなので、迷わず買いました。また、スティーブ・ジョブズの本も、1つのコーナーになっていて、今、一番興味がある人物を紹介した本ですが、今日はとりあえず、喫茶店で読めるのは2冊ほどなので、通り過ぎました。

4階の奥の紀伊国屋画廊を覗きました。丁度前日から始まって11月1日まで、ヤマダトミオ個展「びっくり風」が開かれておりました。ほとんどの作品は中央上部に灰色の雲のようなものが書かれていて、その灰色のものがいく本にも分かれて垂れているものでした。この灰色が重苦しいのに反して、キャンバス全体は淡い明るい色で塗られていてさわやかな模様が描かれていました。作者のヤマダトミオさんが話しかけてくれて、記名帳に記帳し、お話を聞くと、今回の作品は東日本大震災で感じたことを絵に表したそうでした。そう思ってみると、この原爆の雲と放射能の降るような絵を基調として、何枚かには真ん中の下に黒の十字が書かれておりました。私はそれが十字架に見えたので、ご本人に伺うと、十字架を意識してかかれたものではないということでした。ルノアールのような綺麗な色使いと対照的な灰色の雲のように垂れ下がるもののコントラストが印象的でした。

頂いたPOST CARDには以下のように書かれていました。

びっくり風
地震だった。
でも春風は吹き、サクラ風も吹いた。
汚染風も吹いて、節電の夏風も吹いた。
あの扇風機が蘇って、恒例の台風も来た。
半年間に祖国ニッポンにはびっくり風が一杯吹いた。
それでも、ちゃんと秋風が吹く月になった。
当たり前の四季がこんなに愛おしいとは思わなかった。
冬風が吹いたら、良い新年風が吹くように祭りましょう。
2011年、秋風のマドリードにて


平日、朝から夜9時頃まで、仕事だけをしている毎日から、1日1時間半くらい、仕事を忘れて時間を過ごすとリフレッシュして生産性が高まるのではと最近、切実に感じております。

2011年6月5日日曜日

「アウェー脳を磨け!」茂木健一郎を読んで


「はじめに」にあるように、「アウェーに挑戦しようという人の、背中をそっと押してあげる」という趣旨で書かれた本のようです。そして、「アウェーに身を置くことが、脳の潜在的能力を引き出す上で、いかに素晴らしいことであるか」を説いています。
丁度、日本サッカーがアジアカップをアウェーで戦っているさなか、昼休みに本屋で「アウェー…」というタイトルが目に付いて立読みし、パラパラとめくってすぐに読み終えてしまいました。それと言うのも、私は日頃アウェーで仕事をしているのでとてもよく理解できて読み直す必要も無いくらいでした。でも、言わんとしていることに共感できたのでその場でこの本を買ってしまいました。多分、読み返したいと思ったのでしょう。とくに、今年のアジアカップではザッケローニ監督になってから試合の度にチームが一体感を増していってたくましさを感じられるようになってきて、アウェーで勝つことがメンタル面の成長につながっていることを強く感じました。

私は大学の先輩に引っ張られて会社に入り、3年目で3人で会社を立ち上げ10年で安定した会社に見切りをつけて、外資系の大会社に入社し、その後外資系を6社ほど転々として、現在7社目にいる訳ですが、新たな会社にチャレンジするパワーとそこに早く慣れて自分の居場所を確保し、それから自己主張してゆく、そのパワーはかなりのものが必要でした。
アウェーにいくと自分のルールは通用しないのでアウェーのルールに順応しなければなりません。このような順応性は誰にでも持ち合わせているのですが、アウェーに慣れている人はこの順応が早いのです。確かにさすがに慣れました。新しい会社ではルールも人間関係も初めてのことばかりです。早く順応して、早く自分らしさを出せる順応性こそ大事だと思います。本では、アウェーに適した脳の状態と言うのはリラックスしていて、かつ集中している状態だそうです。アウェーに適していない状態と言うのは緊張しながら集中している状態だそうです。緊張しているとパフォーマンスが著しく落ちるそうです。やはり、リラックスしているとパフォーマンスが出るようです。体から余計な力が抜けていて流している状態、つまり、アイドリングしていて何かあればすぐに動ける状態が良いようです。
日本人は海外で揉まれたほうが良いということですが、では、ホームから出づらい人はどうすればよいのでしょうか?皆が私のように冒険に恵まれているわけではありませんし、そんな冒険をよしとしていない人が多いはずです。茂木さんは毎日自分に2つのルールを課しているようです。
1つ目のルールは、20%ルール。1日を100%自分の仕事に振り向けるのではなく、20%は無課題、無目的に振り分けるのです。この本でも書いていますがそれを会社として実践しているのがGoogleだそうで、私も数年前にGoogleを書いた本でそのことを読んで、確かにそうだと思いました。それは、創造性を高める目的で使うのが良いようで、その事が仕事に役立つことも多いと思います。1つの方向から物事を見るのではなく、違った方向に目をやっていると、あるときヒラメクことがあると思います。
2つ目のルールは、10分間の脱線。毎日10分間、普段の自分なら絶対にやりそうもないことをやるのだそうです。このようなことをやることで、ホームにいながらアウェーのような経験の一部を体験できるかも知れません。

2011年6月2日木曜日

メン・イン・ブラック3 IMAX 3D


今日はメン・イン・ブラック3を見ました。今回はエージェントKがボグロダイト星人・ボリスを捕らえて、宇宙人からの攻撃から地球が守られているという現状から、ボリスが月の刑務所を脱走して、自分が捕らえられた過去にタイムスリップして、エージェントKを殺し、ボリスが地球を攻撃してくるといる状況になったとき、主役のエージェントJが同じようにタイムスリップしてエージェントKを守り、ボリスを殺すと言う新たな歴史を作るというお話。このエージェントKとボリスが対決する場面が、まさに1969年7月16日、アポロ3号の発射の瞬間の発射台の最上階で行われます。また、このエージェントKを助ける際に自分の父親が犠牲になる瞬間に立会い、その場にまだ幼かった自分がいて、これがエージェントKとの出会いであったというエピソードが知らされる。
いつ見ても、娯楽映画という感じで楽しい。ユナイテッドシネマの会員ポイントは既に7ポイント。1回見ると1ポイントが加算されます。そして、6ポイントで1回無料で鑑賞できるので、すでにその権利はありますが、3D版は通常より高いのでポイントでは見れません。

2011年5月26日木曜日

第620回 ドリームジャンボ 宝くじ


宝くじは1年に1回も買いません。当たらないからです。一度も300円以上は当たったことがありません。気まぐれで今年は何回か買っています。

外れるのに買うことに意義を見つけるとしたら、何だろうと考えてみました。宝くじにはこのように書いてあります。「この宝くじは、全国都道府県及び20指定都市が発売し、その収益は、それぞれの公共事業等を行うための資金にあてられます」。たまに見かけるのが、公共施設に宝くじの収益で建てられましたなどと書かれたものです。以前も、東日本大震災の復興資金として寄付されますなどとありました。

買う意義:
1.自分が住む町の公共施設をたてるために間接的に寄付する
2.当選発表の確認をする直前のこころの高まりを感じる
位で、あまり強い動機にはなりません。そこで、写真を撮るのが好きな自分により身近なのは、じっくりと見た人はいないと思いますが、毎回変わるイラストを記録して残すというのはどうだろう。
ということで、今回はじっくりとこのイラストを見てみました。
今回このイラストを書かれたのは「星野 はるか」さん。Google検索で「星野はるか イラストレータ」で探したら、ブログ風のホームページが見つかりました。以下、その中の文章です。

---------------------------------------------------------------------------------
園の先生、子供達の支えになることを目指し、前身となるSTUDIO KUMAを立ち上げ
はや18年、私どもは2011年3月31日より組織体系を株式会社と法人化することになりました。
新たな社名は「KUMA’S FACTORY」(クマズ ファクトリー)となります。
企業理念に掲げた”笑顔のカタチ”を追求し、生産していきたいとの思いから
このような社名とさせていただきました。
今日、この日を迎えられたのは皆さまのご支援、ご協力の賜物と心より感謝する次第です。
このうえは、皆さまのご期待に副えますようスタッフ一同、日々精進する所存でございます。
一人でも多くの方々に笑顔の環境を・・・

---------------------------------------------------------------------------------

たまに、ジャンボ宝くじのイラストの依頼があるようです。こんごは、このような楽しみを見つけたいと思います。