2011年11月30日水曜日

紅葉 天王洲アイルから品川インターシティにかけて

今日は天王洲アイルで仕事があった。そこここと、紅葉が綺麗だったので携帯で写真を撮りながら品川駅まで帰りました。まずは、モノレール天王洲アイル駅で降りて、東品川海上公園を抜けて仕事先へ。










仕事が終わったら、天王洲アイルへ戻らずに、もう1つの仕事先へ。



 そこからT.Yハーバーブリュワリーにあるケーキ屋さん(?)でキッシュセットを頼んで、一服。橋を渡り品川インターシティへ向かう。


品川インターシティも紅葉になっていました。多分、ここもクリスマスのイルミネーションが綺麗だと思うので、いつか夜、もう一度来てみたいと思います。

なかなか、リラックスできた午後でした。

2011年11月27日日曜日

リサ・ヴォート トークショーに参加

2011年11月27日 14:00 - 15:30 東京ミッドタウンのフジフィルム スクエア2Fでリサ・ヴォートさんのトークショーが行われ、参加してきました。11月25日から12月7日まで1Fでは企画展『LISA VOGT's White Gift「北極からの贈りもの」~生命のぬくもり~』が行われていてその併設イベントとして行われました。

最初にリサさんの大切な友人ということで紹介された薄羽美江さんから写真集についての紹介がありました。この会場で写真集を購入されるとリサさんがサインをしてくれます。そして絵葉書を受け取って、それに自分の住所を書いて渡すと、東北の図書館に1冊献本され、そこにその葉書が着いてゆき、受け取った人が切手を貼って多分メッセージが書いて送り返してくれるそうです。

リサさんのお話は、北極と南極に行かれた経験から、その違いについてのお話がありました。北極は大陸はなく、氷のかたまりから出来ていますので、一面、真っ白、生き物も真っ白、たとえば白うさぎ、白い鳥で、自然の音も静かだそうです。北極は地球の温暖化の危機に直面しております。暖かくなれば、凍る面積が狭まるために、2万頭とも言われている北極熊の住む氷の面積が狭まり、海面を泳いでいなければならなくなってしまいます。それに対して南極は大陸があり、比較的暖かい季節、真冬の季節などがあり、住んでいる動物も色鮮やかなペンギン、野鳥、アザラシその他豊富におり、音も色々な鳥の鳴き声が聞こえてくるところです。多少温暖化になっても住む土地がすぐになくなるというわけではありません。

日本語的発想だと白熊、つまり、ホワイトベアですが、英語では極にいる熊(ポーラーベア)と呼ばれます。

それから、幾つかの写真のエピソードなどをお話しされました。北極熊が体に積もった雪を掃うところを撮るのに4時間も待ったとか、3頭の親子の北極熊のうち、子供の熊が氷の割れ目を渡るときに、躊躇してなかなか渡らなかったとか、それを母の熊が渡るまでじっと見つめていたなどのお話しをされました。
半ばに、ホッキョクグマの等身大に近いぬいぐるみがトークに加わり、楽しいひと時を演出してくれました。会場内を動き回り、お子さんや希望者にハグして、皆さん喜んでいました。この写真はそのときのものです。
終わりの頃に動物園の北極熊の写真を見せて、実は北極に住む熊より、動物園に連れてこられて熊のほうが環境が一定、栄養管理されたえさ、ドクターチェックなどが施されるので長生きするというお話しもされました。

なお、北極熊の写真はリサさんのサイトを覗いてみてください。サイトはここをクリックしてご欄ください。

・写真集


2011年11月26日土曜日

三の酉に参拝してきました


2011年の酉の市は三の酉まであります。一の酉は11月2日(水)、二の酉は11月14日(月)で三の酉が11月26日(土)でした。平日は仕事があるので仕事帰りはきついので、三の酉の土曜日に参拝してきました。

毎年、熊手を買っているので(と言っても一般的な800円のもので、ご利益もそこそこだと思います)、今年も昨年の熊手を返納して新しいものを買いました。私が住んでいるのは練馬で、練馬駅前の商店街を入ってすぐのところに練馬大鳥神社があります。敷地はそれほど広くなく、本殿と神楽殿があります。夜に行くと神楽が行われていて、1つの演目が終わるたびに、紅白の餅を投げ、それを拾うという光景が見られます。神社には列に並んで進んでゆくのですが、入り口に近づくと道路の左側に鳥みきという焼き鳥屋さんがあり、大串350円のものや良くある焼き鳥、大きなえびの串焼きがおいしくて、非常に繁盛しています。

酉の市というと東京の下町のお祭りとばかり思っていたのですが、熊手に添えられた書き物には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊勢の国で亡くなってから、大鳥に化身して大阪堺市のある場所に飛来したことから、その場所に大鳥神社を創建されたと伝えられていて、東京およびその周辺に末社が多く建てられたそうです。この神社で配られる熊手は、福を搔き込み、幸せの御神徳を載くものだそうです。

2011年11月23日水曜日

六本木アートカレッジ 2011.11.23

10:00からの最初のプログラムは「人類が生き残るために、どうするべきか?」。これは、俳優、監督の伊勢谷友介さんの活動についての対談でした。伊勢谷さんの活動の基本は、人類が地球に生き残ることを前提として何が出来るかを考え実行することだそうです。その活動は、Reverse Projectと呼ばれ、無駄をなくす活動と、一般の人の提案を応援する元気玉プロジェクト。

11:15分からは5つのプログラムが同時に行われるので、「アートな過激なイノベーション?」を聴講しました。AITという活動をされている、ロジャー・マクドナルドと小澤慶介のトーク。近代アートの歴史について短い時間でしたが近代の代表的な作家についてのお話でした。「ダダイズム」、ユーリカ発見のモーメント、ドゥシャン、ポルック、ウォホールなど。

12:30からは「境界を越えた表現者 ~表現者はアーティストだ!」アーティスト会田 誠とメディアジャーナリストの津田大介の対談。津田さんのツイッターの発信はリアルタイムだが、アートは書き始めのときの時代感覚は出来上がったときにはすでに時代は動いていて、時代感覚とずれていると感じているのはアーティストの会田さん。

13:45からは「アメリカ美術って何?」というテーマで、国立新美術館教育普及室長の西野華子さんが、現在国立新美術館で開催されているアメリカン・アート展に展示されている作品の紹介を通じて、アメリカン・アートの歴史と特徴を紹介されていました。また、アメリカの美術館の特徴として個人が資金を出して作られたものが多いということでした。最初の近代美術館は、個人の自宅の一部に収集された作品を公開した、フィリップス・コレクション。その後と美術館は1870年設立のメトロポリタン美術館、ボストン美術館、ワシントン・ナショナルギャラリーなど。私はボストンが本社の会社の日本支社に長い間勤めていたのと、最初に経験した外資系の会社だったので、何度かボストンをはじめとしてアメリカ国内を何度かいった中で、ボストン美術館には何度か行きました。この写真はそのときのものです。
もちろん東洋館で日本の浮世絵などを見てきて、その後色々な国で有名な美術館には行ってきました。ほとんどが教科書に載っていた作品が目の前にあるのは感激でした。本題に戻ると、アメリカのその後の美術館は1929年設立のニューヨーク近代美術館(MOMA)、ホイットニー美術館などです。富豪の個人が設立したのはヨーロッパに美術的には劣っているという思いから、アメリカ国民がアートに触れる機会を与えたかったからでした。

15:00からは「本とは愉しくやっていきたい」と題してブックディレクターの幅 允孝さんのおはなし。ブックディレクターとは、最初は六本木のけやき坂にあるTSUTAYAにある本屋さんにコーナーを作って、テーマを持った本を揃えるというものから始まり、大阪千里の病院の図書コーナーに脳溢血の方のリハビリに効く本を揃える仕事での苦労話しやそこで得たことなど示唆に富んだお話しでした。最後に最近の電子書籍のメリット、デメリットのお話しをされました。幅さんは電子書籍で読んだ本でも気に入った本は、紙の本を買うそうです。紙のにおい、手にとってページをめくるとそこにある書き込みなどをみて読んだときの記憶が蘇るそうです。

16:15分からはアートとは視点が違うのですが、国立天文台の小久保英一郎さんの「宇宙の中の地球」でした。以前に三鷹にある国立天文台で大望遠鏡を見て説明員の方からお話しをお聞きしましたが、そこに勤めていて宇宙の成り立ちを研究されているそうです。目下の関心は、第2の地球はあるのか?だそうです。この広い宇宙に地球と同じような環境の星があるのか?来週にもファッブル望遠鏡からのデータがアメリカで発表されるようで、もしかしたらそこでこの可能性が語られるかもしれないとのことでした。

最後17:15からは森美術館の館長の南條さんがモデレータで中田英寿、栗林 隆による先月行われた中田英寿さんの企画による日本の伝統工芸をアートにして出来た作品をオークションで販売して、それを来年の同じ企画の資金にするというものの紹介でした。これは、中田さんが日本国内を回りながら各地の伝統工芸を見て歩き、それをアーティストによって作品を制作し、それを広く国内に紹介するというものです。

2011年11月20日日曜日

「人生これからや」 コシノジュンコさんの講演会を聞いて


今日は息子の通う学園の創立45周年記念講演会ということで、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんの講演を聞きました。題は「大きな夢 世界に飛び出せ」でした。

この学園はグローバル、ホスピタリティを創立の原点としていて、希望しなければ夢は叶わない、望んでも行動しなければ何も起きない、出来ると思ってやることのようなお話をされるところなので、小学校から大学までの生徒に聞かせるのにはぴったりのお話だと思い、普段はあまり学校行事には参加しないのですが、コシノジュンコさんがお話されるということで、参加いたしました。

はじめに、コシノジュンコさんのお母さん、綾子さんの生涯を扱った朝の連続テレビ小説「カーネーション」の紹介がありました。カーネーションというタイトルは、お母さんの誕生日が6月15日で、その日の誕生花は幾つかあるのですが、その1つがカーネーションなので、付けられたそうです。写真はウィキペディアで見つけたものです。誕生花というのは初めて聞いた気がするので、自分の誕生日はどうかと調べたら、ガーベラ(神秘)、カルミア(野望・大志をいだく・野心)、コウリヤナギ(しなやかな心)、フリージア(純潔・慈愛・親愛の情・親愛)でした。自分の誕生花をインターネットで調べてみると面白いかもしれません。

お母さんは、生前、NHKの朝の連続テレビ小説を見て、この番組で自分のことを取り上げてくれないかと、視聴料金の集金の人に言っていたそうです。亡くなってから5年程度経ってから取り上げられたので、ジュンコさんは、きっと母は天国でずっとこの番組で取り上げてくれないかなと言っていたのではといっておられました。これは、お母さんがなくなった後、お母さんが付けていた日記を整理したら、色々なことが書いてある中で、赤線が引いてあったことに通じるのではと引用されたものと思います。その言葉とは、「向島、見るだけでは渡れない」でしょう。

夢は誰でも見るけれども、行動を起こさないと何も始まらないということを常々言っていたそうです。ジュンコさん自身のエピソードとして、ニューヨークのメトロポリタン美術館でファッションショーをした時のことを話されました。ご本人もこの美術館でファッションショーをしたいと思っていたけれども、まさか、ここで出来るとは思っていなかったそうですが、だめもとで係りの人に言ってみたそうで、待っていたら2週間後に返事があるからということで、待っていたら、ビジネス目的では駄目だけれども、アートという趣旨であるならば良いとの返事を得て実現したそうです。

それから、もう1つ話されたのは、「人はそれぞれ自己流がええねん」と書かれていたことについての話でした。人まねではなく、自分なりのよさがあるのだから、それを信じて伸ばしてゆくのが良い結果につながるというようなお話だったかと思います。

最後にコシンジュンコさんが言われたのは、「かきくけこ」が大事だということでした。
か - 感謝
き - 希望
く - くよくよしない
け - 健康
こ - 行動する

講演の中では書籍を出版されていることは紹介されませんでしたが、お母さんから受け継がれた言葉などエピソードが「お母ちゃんからもろた日本一の言葉」に書かれているようです。
また、80歳を過ぎてもなお、お母さんの口癖だった、『人生、これからや!』をタイトルとした本も出されているようで、自らの貴重な体験をこれからの人に伝えることにも力を入れているようでした。その表れとして、このような講演会を幾つかの大学などでされているようです。

私もこの年齢になると、何度となく成功された方から同じ趣旨の言葉を聞きました。また、本でも幾度となく読んできました。なのに、なぜ自分は中途半端なんだろうと考えてみました。やはり、父親のことを考えると、父親たちが最後の最後まで諦めなかったのに比べると、その親の頑張りで自分たちはそれほどの苦労をしなかったので、最後の一頑張りのところで頑張りきれないのではないかと思うようになりました。成功された方の話に何度も聞いて覚えているのは、成功したのは成功するまで、最後の瞬間まで諦めなかったからだということでした。そういえば、松下幸之助さんのエピソードでも、売り上げの締め切りの日に現場の営業の方は、締め切りの日の夜10時に、やるだけのことはやっても目標には達成することが出来ず、諦めて幸之助さんに報告したら、幸之助さんは「あと2時間あるではないですか」、と言って激励したそうです。やはり、成功した人は最後の最後まで成功することを信じて諦めることしなかったのだと思います。

もう1つ思うことは、やる前から諦めてしまうということです。高い目標を与えられると、出来ない理由が頭に浮かんできてしまいます。でも、やるっきゃない時もあります。そんな時には、どうすれば実現できるかを死に物狂いで考えて、最後まで諦めないこと、頭では分かっているのですが、途中で、早々と諦めてしまうことが多かったのです。

そんな事を、考えさせられた1日でした。
・最後まで諦めない
・駄目もとで行動してみる
・出来ない場合を考える前に、どうしたら出来るかを考える
・人まねをせず、自分らしくやってみる

・書籍の紹介



2011年11月12日土曜日

中国深圳出張で最後に待っていたポカ



2011年6月18日から25日まで、社内のミーティング出席のため、中国深圳にある本社へ出張してきました。
日本からは成田から香港へ行き、香港からは大きく分けて陸、海のルートがありますが陸のルートを選択しました。海のルートは空港内で入国しないままフェリーに乗って深圳に向かうルートで、飛行機に積まれていた荷物は香港でフェリーに積み替えられます。このフェリーを降りた時に入国審査が待っています。その後、そこからホテルまでタクシーで移動します。
2番目のルートである陸は、タクシーで行く方法とバンによる7名程度の乗り合いタクシーがあります。この方法だと香港から約2時間で深圳の内陸にある本社近くのホテルに着きます。費用は220中国元(日本円で約2,750円)。
私は7名乗りのバンで香港から滞在先のホテルまで約2時間15分程度をかけて行きました。香港と中国本土の境にある入出国審査所で30分程度の香港への入国と中国本土への入国で時間を使いました。まだまだ香港は中国では無いようです。
多分、一人で来たら珍道中になるところでしたが、たまたま日本のオフィスにいる中国人社員がビザの更新のため本社にもどるのと中国から出張で来ていた中国人1人との3人で成田から同じ便で香港に着いたので、彼らの進むままにバンにのり、何も考えずにホテルまで連れて行ってくれて、ホテルのチェックインが済むまで一緒にいてくれました。


初めてのところなので、土曜日にホテルにチェックインして、会社まで歩いて30分ほどかけてのんびり回りをチェックしました。社内へは守衛さんが厳重にチェックしているのですが、社員証を胸から下げていればそのままスムーズに入れるので、中に入ったら土曜日というのに働く社員であふれていました。翌日も会社に昼ころいったところ、社員食堂では大勢の人が昼食を食べていました。これだから日本は中国に追い越されているのだと感じました。多分、私の父の世代はこのように一生懸命働いたのだと思いました。がんばろう、ニッポン。負けるな、ニッポン。


ホテルから本社までバスで3駅(費用は3元、日本円で約37円)、タクシーで13元(日本円で163円)。ホテルは1泊約200元(日本円で2,500円)。朝食、昼食、晩飯は会社の食堂を利用しました。たまには、こちらにいる人の案内でそとのレストランで食事をしましたが、それほど高くはありませんでした。社員食堂では、朝食は4元程度(日本円で50円)、昼食25元(日本円で約300円)、夕食も昼食同様25元程度で、1日約54元(日本円では675円)で食費、宿泊で180元程度でしたので、1日234元(日本円で約3,000円)。
出張ではトレーニングセンターのミーティングルームで5日間、朝9時から夜9時までミーティングを行いました。トレーニングセンターは1つの区画を使って緑に囲まれた東京ドーム程度の広さの敷地に贅沢に3階建ての建物が建てられています。



深圳は香港に近い経済特区ですが歴史も古いため、観光ガイドを見るといろいろな見所があるようですが、会社は内陸に入り込んだ何もない広大な平地に立てられたため、周りには見所はありません。朝9時から夜9時近くまで、ほぼマンツーマンのミーティングをしていたので、夕食をとった後は、疲れがピークに達していて、何を言っていたのかほとんど覚えていませんが、終始売り上げのことを言われていました。

25日の土曜日にホテルから香港まで来た時と逆のルートで帰りましたが、これも一緒にこちらに来た同僚がバンの手配をしてくれて、私は指定された会社の前の社員向けホテルの前で彼と待ち合わせて彼の指示でバンにのり、香港空港まで付きました。飛行機の出発は午後3時ころですが、11時30には空港についていたので十分に空港内でおみあげを買うことが出来ました。

帰りは成田に夜8時30分ころ着いて、いつものように成田エクスプレスの切符売り場に向かったところ、最終が出たばかりで、新宿には京成スカイライナーが早く着けると言われて、産まれた初めて京成スカイライナーにのりましたが、西日暮里までどこも停車せず、快適に着きました。そこでJRに乗り換えて山手線で高田場にゆきました。

この出張では、成田から順調に現地ホテルまで着き、無事5日間のミーティングをこなし、無事自宅まで帰宅して、大きな失敗もない旅でした。と言いたいところですが、最後に落ちが待っていました。

それは、京成スカイライナーの中か、西日暮里でJRに乗り換えるときかわかりませんが、パスポートの入った小さなポーチをなくしてしまったことです。家に帰ってパスポートを落としたことに気づき、早速、成田空港警察、成田空港、京成、JR、西武線に遺失物の連絡をして連絡を待つことにしました。万が一駅から家までの徒歩10分の間かもしれないと思い、近くの交番にも届けました。そして、なんと5日目に上野警察から私の携帯に連絡が入り、それは私のパスポートが届いているとのことでした。携帯の番号は近くの交番に遺失物届けを出した際に記入したもので、とりあえずとして近くの交番に届けたのが幸いしたようです。パスポートには自宅の情報は記入していなかったため、近くの交番に届けていなかったら、たとえ上野警察に届けられたとしても私に連絡が来ることはなかったでしょう。

更に落ちがあり、それは、パスポートは小さなポーチに入っていて、その中にめがね(近視なので通常かけている遠近両用めがねとは別に持っているパソコン用めがねで、GIORGIO ARMANIのフレーム、ニコンの中近レンズを合わせると当時7万円近くしました)、筆記具が入っていました。そこで、月曜日の仕事に困ったことが起きました。つまり、パソコン用めがねを紛失したために、パソコンに向かっても遠近両用めがねでは近すぎてよく見えず、仕事にならないことが判明しました。そこで近くの眼鏡屋さんに行って検眼し、一番安いめがねを買いました。レンズ込みで5,900円でした。J!NSというブランドのようでした。30分ほど待って(丁度昼休み時間を活用して)出来上がりました。これを社内で付けていたら、すこぶる今風で評判が良かったようなので(お世辞とは分かっていても悪い気はしません)、遠くを見るめがねもついでに作ってしまい、結果的にめがねが4つもあることになってしまいました。
めがねを変えてから、最近白髪が少し目立ってきたので自分で出来る白髪染めを試してみたら、簡単なので続いています。

……
・書籍のご紹介